雪崩事故防止講習会 栂池

 雪崩事故防止講習会 栂池
東海ブロック講習会
開催日:1月14日(土)、15日(日)
メンバー:多治見2名、みのハイキングクラブ2名
        ふわく1名、クララ1名

報 告:多治見を3時に出発して、栂池高原の鷲の家に7時に到着。レセプションを受けて実技講習会。講習会はゴンドラを利用して、栂池自然園近くで実施した。初日は雪崩を引き起こしやすい雪質の観察、長さ2m、高さ1.8m雪の断面を掘って観察。雪崩を誘引する雪の弱層のテストを何度も繰り返し行った。その後、雪崩ビーコンの使用方法から、埋没者を探査する方法として、電波誘導法、ファインサーチ、エアポートアプローチ、ビーコンで埋没者探査の方法、プロブを使って、スパイラルプローブング繰り返し練習した。
翌日は、スキー場近くの公園にて実習、最初にシャベルにて、埋没者の張り出しを3人グループで行った。早く掘りだすにはチームワークが重要でした。昨日練習したエアポートアプローチ距離を60m位離れた所から埋没者を探す練習、最初は3分以上掛かったが、2回目は2分を切る事が出来た、
二日間の集大成として、6人でコンパニヨンレスキューを実施した。リーダ、ビーコン探査、シャベル・プロブ、記録報告の役割を決めた、リーダーの指示のもと捜索の練習を行った、担当を交替して4回くらい練習をした、時間との勝負なので、やって見ると色々混乱して思う様に出来なかった。捜索開始から埋没者の救出迄を15分が課題、これはとても困難な事だけど、重要な課題、それを体験出来た。三種の神器(ビーコン、シャベル、プロブ)が命の道具と理解し、練習の積み重ねが重要と認識した、実技講習会でした。

ゴンドラの駅に、ビーコンチェッカーが設置されていた。

練習場所に向かう。

全員で雪質断面観察の、ピット堀。

昨日の雨と、気温が高いので、ルーペや刷毛を使って観察したが、雪質は良く分からなかった。
断面をハンドテストで、指先からグー、ペンシルと雪の方さを確認した。

 

雪の層毎の温度の測定、今回は雪の断面ごとの特性は図れなかったが、温度が低く測定の条件が良いと、下に行くほど温度が高くなることが分かる。

シャベルコンプレッションテスト(CT)、弱層を確認する事は出来なかった。
30cm角の柱を掘起こして、テスト。

CTで弱層が確認出来た時、横への伝達を知るために、エクステンディッドコラムテスト(ECT)を行う。30cm、90cm。シャベル、スノーソ、ワイヤーが必要。

ビーコンの取扱い、サーチ(SEARCH)とセンド(SEND)をグループチェックの練習後、ビーコンの電磁波に沿って、歩く練習。

ビーコンで埋没者の捜索、捜索距離を広げながら練習。

3人グループで、埋没者の掘起こし。

これだけの広さを掘るのに5分要した。

埋没者の搬出、ヒューマンチェーンや、ログロールを練習。

 

 

コンパニオンレスキュー。

ビーコンで、ファインサーチご、プロブでスパイラルプロービング、埋没者を発見。

 

講習会、繰り返し練習が出来たので、講習会の内容が良く理解出来ました。この練習は継続が重要と思いました。

 

 

富士見台 JWAF主催

富士見台の秋の紅葉を楽しむ
JWAF主催 山まつり

山行日:10月16日
参加者:多治見ろうざん15名、大垣労山13名
岐阜ケルン4名、中津川労山9名、瑞浪4名
みのハイキング40名

アクセス:多治見7:30==中津川IC==
湯舟沢==大檜駐車場8:00

コースタイム:駐車場8:35⇒追分登山口8:40⇒鳥越峠9:00⇒千両山9:50⇒神坂峠10:10⇒神坂避難小屋⇒富士見台11:30~11:45⇒山まつり会場12:00~13:10⇒神坂山13:20⇒萬岳荘13:40~13:55⇒神坂峠⇒駐車場14:40

ルート図: MAP

報告:日本勤労者山岳連盟(JWAF)岐阜県連には7団体が加盟している、1年に一度山を通して交流会を開催している。コロナ感染により3年ぶりの開催となった。
 担当が交代で行う、今回は中津川労山の担当でした。
約90人の参加者に渡せる賞品用意してまらいました。農産物から、生活用品、山の道具と多岐に渡っていました。一番良いと思われる賞品、山専ボトルが、多治見ろうざんの女性に当りました。
 コロナ感染の事もあり、山岳会同士の交流は十分には出来ませんでしたが、岐阜県の他の団体や、岐阜県連すら知らない会員が今回多く参加して貰えたので、良かったと思います。
 富士見台と言えば、この時期は紅葉、鳥越峠からの稜線の紅葉は素晴らしかったです。富士見台頂上からは、遠くの山は雲で見れませんでしたが、南木曾岳等良く登る山を見る事も出来ました。帰りの神坂峠から駐車場までの林間コースは紅葉が目の前で見れて、秋を十分に満喫出来ました。

JWAF岐阜県連参加者集合!!

各会登山口を変えて、神坂避難小屋近くの慰霊碑の近くに集合する。多治見ろうざんは、大檜駐車場から鳥越峠、千両山を経て富士見台、帰りに神坂山を登るコースで登山をしました。
 駐車場を8時35分出発。

 鳥越峠までは、キツイ登り、此処が今日一の頑張る所。

神坂峠までは紅葉を楽しむ、そして見え隠れする、恵那山を眺める。

 

 

 

 

恵那山の頂上もなんとか見えました。

富士見台方向。

 

ツルリンドウの赤い実。

富士見台。

神坂峠。

 

 

富士見台。

 

 

県連理事長(大垣労山)挨拶。

 

 

神坂山を目指す。

 

 

神坂山登山道、無くなってしまいそう。

 

 

無事下山。

 

 

富士見台冬山体験登山

富士見台冬山体験登山

12月20日 日曜日

参加メンバー:多治見ろうざん6名、大垣労山7名、岐阜ケルン5名、みのハイク10名、瑞浪山の会2名 28名

コースタイム:神坂神社8:40⇒ブナコース登山口9:10⇒分岐10:00⇒萬岳荘11:00~11:40⇒神坂山分岐⇒神坂小屋12:20⇒富士見台12:35~12:50⇒萬岳荘13:10~14:00⇒分岐14:20⇒神社15:20

ルート
      地 図

写  真

神坂神社からブナコース登山口迄はしばらく林道を歩く。カラマツコースは、神社から直登。時間は掛かりますが、楽な方を歩きます。

林道は、雪が圧雪された状態、滑らない様注意。

 ブナコース登山口、此処は陽が良く当たり暖かい。28人全員が揃うまで待ちました。

 恵那山方向、茶色の木々、樹氷の白、青空、3色がとても良いバランス。

カラマツコースの分岐を過ぎると、緩やかな尾根の道が続く、カラマツの間から太陽の陽ざし、雪道にカラマツの影がのびている。

空を見上げると、唐松の樹氷と青い空、輝いてます。帰りには、樹氷は解けて消えてました。

程よい量の雪、気持ち良くツボ足で歩ける。

素晴らしい、眺めに満足顔です。

富士見台の頂上方向、笹の緑と、白い樹氷、このコントラストが富士見台の良いとこかな。

最高の樹氷です。

最初の到着組、瑞浪山の会と多治見ろうざん、最後の大垣労山までは20分以上時間が空きました。

みのハイキングクラブのメンバーは先にスタート、多治見、瑞浪はアイゼンのトラブルがあり、皆から遅れる。

計画では、神坂山を登って富士見台の予定でしたが、一部の会が富士見台に先に向かってしまいました。アクシデント、渡した地図で赤と青で登り下りを表示しておいたけれど、見落としがありました、スタートの時に説明が必要でした。

 鞍部に見える人は、計画通り神坂山を登って降りて来た組。

稜線に小さく見える人影が、直接富士見台に向かった組。

神坂小屋から見る、恵那山。

 富士見台頂上で記念撮影。この時はラッキーでした、青空です。

 多治見ろうざん参加メンバー、1名は先に降りてしまいました。

 左に見えるのが御嶽山、北アルプスは雲の中です。中央に見える山が多分、南木曾岳。

左が南木曾岳、その隣が中央アルプス、摺古木山から見るので、アルプスの様に見えない。

八ヶ岳から南アルプス全山が見れました。

望遠レンズで、甲斐駒ヶ岳。

左は仙丈ケ岳、右は塩見岳かな。

これは北岳と思います。

荒川三岳かな?、左端に黒く見えるのが、富士山ではないか?

頂上から降りてきました。

樹氷の森が続く。

樹氷がもっと育てば、スノーモンスターに。

萬岳荘に戻って来ました。雪の萬岳荘はあまり見る事が出来ない。

 

萬岳荘2階のベランダから。

陽が当たり、暖かいので、ユックリ昼食が楽しめました。

 

緩やかな下りなので、かなりスピードアップ。トップの、瑞浪さんは、元気が良いです。

 神坂神社に降りてきました。立派な杉の木です。この神社は古事記に出てくる古い神社の様です。
 このあたりの山には東山道の表示がありました、神坂峠は難所だったようです。

 

感想:報告

 コロナ感染拡大で、県連の行事も中々出来ませんでした、富士見台冬山体験登山は、参加者が少なくても決行しようと最初から考えていました。結果28名と多くの参加があり、開催して良かったと思いました。県連も各山岳会も、登山を通して繋がっている仲間の輪なので、登山を通しての交流をこれからも大事にしたいと思いました。
 雪は4日前に多く振りました、その前は雪の無い富士見台でした、寂しいなと思っていたら、クリスマスプレゼントです。天気も最高で、綺麗な樹氷が見れて、南アルプスの山々を見る事が出来ました。
今日が雪山デビューの方も数名見えました、初心者の方に冬山の素晴らしさや楽しさを体験してほしいと、企画した登山が、良い結果になったのが、合わせて良かったです。

岐阜県連遭対部長 西部

 

日本勤労者山岳連盟創立60周年レセプション

日本勤労者山岳連盟創立60周年レセプション

11月14日東京ガーデンパレス

 コロナ感染防止対策として、席から離れての歓談、お酒のお酌はしない事、そして食事以外はマスクを着けて歓談の事と、注意事項が最初に説明があり、レセプションは始まりました。

最初に、日本勤労者山岳連盟会長、佐々木功氏が、最初に60周年の挨拶が有りました。
そして、日本山岳会をはじめとして多くの来賓の方の挨拶が有りました、来賓の多さに少しびっくり。

レセプションの様子です、10人掛けのテーブルです、来賓を含め約150名の参加でした。コロナウイルス感染の事もあり、地方連盟の参加は限られていました。私のテーブルは北海道から4名、東京、静岡、愛知、岐阜各1名のテーブルでした。飲み物は色々ありました、多くのホテルスタッフが見えて、飲み物はすぐに持って来てもらえます、トイレ以外は動く必要なしです。

フォークソングバンド「光が丘 ドーンズ」の演奏の様子です。その中で、労山はリニヤ建設の反対をしています、その思いを歌にした、「赤石をこわさないで」の演奏がありました、エンジンをとめろ、山をつらぬき赤石を壊さないで、未来を傷つけないでのフレーズが今でも頭の中に残る印象の強い歌でした。

 

 

日本勤労者山岳連盟創立60周年

日本勤労者山岳連

創立60周年、講演・式典     

11月14日 13時より、神田明神ホール

前日名古屋駅23時30分発、夜行バスで東京へ、三列シート、カーテンで座席毎が仕切られている。きょうは、満席でした。ぐっすり休んで東京へ。

東京駅6時30分頃到着、講演は午後からなので、時間がある。皇居二重橋から、竹橋、近代美術館、最高裁判所、桜田門と、約30分かけて、歩きました。多くのマラソンランナーが走ってました。皇居を周回したのは初めてです。

神田明神です。東京駅から歩きです。途中秋葉原は、何かイベントが有るのか、行列が出来てました。

神田明神は、七五三のお参りで、賑やかです。境内の明神ホールで、記念講演です。

明神ホールは、300名ですが、参加150名間隔を開けての講演です。

最初に浦添理事長の挨拶です。60年の労山を振り返る内容でした。特に理事長は、長崎県出身でもあり、核問題に熱のこもった話でした。核兵器禁止条約が来年早々施行される、それに日本は参加していない事を残念と言われました。登山は、平和があって楽しめる、まして海外登山は平和だから出来る事です。           

私は、政治に首を突っ込む事は嫌いですが登山と平和を末長く続く事を願いたいと思いました。

山岳保険の現状と労山基金 

川嶋 高志 事務局長

1960年労山が誕生した当時は、多くの遭難事故があり、若い命が亡くなりました。私が記憶しているのが、愛知大学山岳部が薬師岳で遭難、立山奥大日岳の雪崩遭難です。多くの犠牲の中で、仲間のカンパから始まった、最初は一口500円で遭難対策基金と言われました。労山誕生から11年です。登山者の救済は、日本登山会のなかで最初です。

2006年頃に、オレンジ共済の大きな詐欺事件が有りました、詐欺事件が起きない様に、共済制度を廃止、労山基金廃止の危機に直面しました。廃止問題は、詐欺だけでなく外資の圧力も大きな原因だった。今では当たり前の外資の保険。労山は、登山者の命がを守れと、抗議一揆をしたり、国に陳情を重ねだそうです。基金を存続する妙案として、労山が一年分の基金を立て替えて、会員には一年後に支払ってもらう事で、保険料と見なされない、詐欺行為が起きない事が認められ、現在に至っている。

近年登山人気の中で色々の登山保険が出来て来ました、日本山岳救助機構ジローは、会員数が5万人を越えました。労山基金は、昨年より、労山基金団体2種を見直して、労山基金個人と二本立にする事で、より会員に寄り添った物になりました。他の保険にない、登山の種類や、突発性事故・病気にも支払われる、通院・入院の健康保険から支払われない費用の補助。海外登山での遭難・救助・怪我にも保証される。最近では、遭難・救助の基金支払いの半分近くが海外登山です。

労山基金は、遭難や怪我、病気の保証だけでなく、登山技術を会員に広めています、そして海外登山で挑戦する人の支援、登山文化の発展に寄与しています。それを支えているのは、会員一人一人です。相互扶助の精神で、支えているのは、日本勤労者山岳連盟だけです。

以上、川嶋さんが話された事を、要約しました。

K2 ~ シリアへ

小松 由佳 フォトグラファ 

現在38才の秋田生まれ、言葉には、経験を積んだ、真のある女性です。はしはしに出る名言は、感動と言うか、納得、決意を感じました。彼女がK2に憧れたのは、写真で見たカラコルムのシスパーレと言う山に登りたい、その為には当時は女性入部禁止の東海大学山岳に入り、3Kを乗り越え、4年生では、部長になっていた。卒業後、ヒマラヤ最初のチャンスは、世界中の女性登山家で、エベレストを目指すのに選ばれ参加、ほとんどが中国チベット民族、彼女達は国家公務員で生活も優遇された人ばかり、結果は高度順応が間に合わず、断念。2回目の挑戦が、東海大学のK2アタック。ベースキャンプをC1からC3を作る中で高度順応やチームワークを築いて行く、日本人からすると安いお金で雇われたポーター達との交流、そして生きたまま連れて来られる。ヤギや牛に愛着を注ぐも、生きて行くために、殺され食料になる、ありがとうと念じた。最終アタックメンバー3人に選ばれ、ベースキャンプを立つ、リーダーが盲腸でリタイア、二人の登頂となる。青空が見えるかと思えば、ホワイトアウト、先が見えない不安の中、無事登頂。しかし登頂はただの折り返し点と現実にぶち当たる、下山は生死をさまよう。予兆の様な不協和音、それを何度か体験して、多くの死者を見た体験から、状況を断ち切る必要を感じて、8200mで、ビバーク、結果は運良くあさを迎え、下山にいたった。生きて居ることが、かけがいのない感謝と念じた。その登山の後に、夢に描いた、シスパーレの登頂のチャンスを受けるが、途中で断念、自分のいる場所は、違う所に有ると感じたと彼女は言う。さだまさし、の歌にも有りましたが、ヒマラヤのポーター達の瞳や、現地の子供の、目の輝きに見せられて、遊牧民と生活をして、シリアの地にたどりつく、家族を大事にしてゆとりのある暮らし、裕福ではないが、生活の過程が心引き付け、フォトグラファの道に生きる決意をする。シリアで長く共にした、シリア男性と結婚、二人の子供を持ち暮らしている。そこにある彼女の信念の根底に、K2で知った命の尊い洞察と感謝の念が今の私を支え生かしてくれていると、講演を締めくくった。